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聖アンドレア・コルシニ司教 St. Andreas Corsini F.  記念日 2月4日



 コルシニ家はイタリアのフロレンスに於ける最高の貴族であって、1282年以来将軍や大使、司教や枢機卿などの要職の人物を多数世に出している。が、その中でも最も有名なのは聖アンドレア・コルシニであろう。
 彼の父はニコラオ、母はペレグリナといったが、二人は結婚後長い間子宝に恵まれなかったので、それを悲しみ絶えず祈り、聖母の御絵の前で誓願を立てた事さえあった。その誠が天に通じたのであろう、遂に聖アンドレアの祝日に玉のような男の子が生まれた。それで霊名もアンドレアと命名したのである。出産の前夜、母は狼を生み落とした夢を見た。しかしいよいよ生まれて見ると、至極丈夫そうな美しい子であったから、心配しただけに彼女の安堵と喜びは大きかった。

 この子は数年経って学校に上がると、非常な才能を現すようになった。けれども腕白で乱暴で手がつけられず、弟達をも始終泣かしてばかりいた。そして兵隊ごっこや大立ち回りをするのが大好きであった。もっともこんなにきかない子ではあったが心は極めて無邪気であったのである。
 15の時例によって乱暴を働き、父母に呼びつけられたが、叱られるのが解っているのでなかなか行かない。やっと行ったと思うと今度は親に食ってかかり、果ては聞くに耐えぬ悪態までつきだした。で、母が情けなさに涙をこぼしながら、「ああ、お前は本当に私が夢に見た狼にそっくりだ」と言うと、アンドレアも聞きとがめて「それはどんな夢?」と訊ねるので、母はその夢のこと、また彼が聖母の申し子であることなどを詳しく話し、「お前は聖母様の御取り次ぎで生まれた子だから、もっと善い子にならないとマリア様に申し訳がないよ」と言い聞かせた。
 この一言がどれほど心にこたえたのであろう。彼はその晩徹夜で祈り明かし、母が願をかけた聖堂に参詣し、聖母の御絵の前で二三時間も祈り、それからカルメル会の修道院へ行って同会総長ヒエロニモ・メリオラチスに入会を願った。彼はもはや父母の膝下に戻るまいと固く決心していたのである。
 総長は少年の志に感じたが、まずその両親を招き相談したところ、彼らも息子の改心を殊の外喜び、何の異議もなかったから、ここに始めてアンドレアの願いは聞き入れられた。
 この奇蹟はもちろん天主の聖寵の賜物である。アンドレアはその聖寵の導きによく従った。もちろんそれには多くの困難もあったけれど、彼は努力してそれに打ち勝った。そしてかつてはあれほど傲慢で我が儘だったフロレンスの名門の息子は、今や修院の掃除とか台所の仕事とか、賤しい務めも喜んでするような謙遜な心の持ち主になったのである。

 彼の両親はせがれの改心をいたく喜んだものの、親戚達はアンドレアが貧しい修道服をまとう身になったことを一門の恥と面白からず思い、ある日彼が町に出たところを引き留めて、もう一度世間へ帰れとうるさく勧めた。しかし彼はその誘惑にも乗らず、断固として初一念を守り通した。
 そういう心掛けであったから、諸徳の進歩も著しく、なかんずく従順にかけては兄弟の模範とされるほどに群を抜いていた。克己の業は会の戒律に定められた以上に行い、隣人愛にもすぐれ、事に貧者を憐れむ心が深かった。
 会の誓願を立てて後、彼は鋭意祈りと研究に努め、司祭になる準備をした。そして叙階の秘跡を受けると、父母は自分等の臨席の下に盛大な初ミサを献げるように望んだのに、彼は謙遜から、フロレンスから7マイルばかり離れた、淋しい田舎の小聖堂で初ミサをあげた。この謙遜は特別な報いを受け、御聖体拝領後聖母の御出現に接し、「あなたは私の僕です。私はあなたを選び出し、あなたによって光栄を得ましょう」という有り難い御言葉を賜る恵みを蒙った。

 アンドレアは司祭になってからも質素な苦行の生活を続けた。彼の名は間もなく世間に広まり、四方から教えを請いに来る者、力を借りに来る者、引きも切らなかった。彼は及ぶ限りそれらの人々の為に力を尽くしたが、時として彼の祈りに応じて奇蹟の行われた事もあった。
 例えばある日親戚にあたるアヴィニヨン市の枢機卿ペトロ・コルシニに所用があって招かれた時の事である。彼がその町を歩いてゆくと教会の前で物乞いをしている一人の盲人が目に留まった。憐れに思って訊ねて見ると、金銀を吹き分ける炉の前で仕事をしていた際、誤って火焔に目を吹かれ視力を失ったのだそうで、「子供達もまだ小さくて働けませんし、この目が見えぬ為に誠に難儀致します」と言う。アンドレアはますます不憫に耐えず思わず涙をもよおしたが、思いついて聖水を振りかけ「願わくは全能の天主が汝の眼を開き給わんことを!」と祈ると、たちまち相手の目が明いたので、その男は声をあげて天主に感謝しつつ身の幸福を町中にふれ歩いたとの事である。

 1360年イタリア、フィエソレの司教が没すると、他の司祭達や信者達は彼にその後任となることを願った。しかし彼は人知れず逃れてトラピスト修道院に身を隠した。人々は彼が行方不明になったので教会に集まり、やむなく他の人を選挙しようとすると、突然そこに居合わせた三歳ばかりの子どもが「天主様はアンドレア神父様を司教にお選びになった。神父様は今トラピスト修道院にいらっしゃる」と叫んだ。これを聞いた一同の驚きは言うまでもない。ところが丁度そのころ祈りをしていたアンドレアにも白い衣を着た一人の子供が現れて「恐れるには及ばぬ、私もあなたを保護しようし、わけても母マリアは万事においてあなたを助けるであろう」と告げた。それが幼きイエズスであると悟った彼は、主の思し召しを知って遂に司教の職に就いた。
 が、それからも彼は厳しい生活ぶりを改めず、葡萄の枝を敷いてその上でやすみ、またしばしば断食したり我が身をむち打ったりした。彼は貧しい人々や不幸な人々を殊の外愛し、出来る限り彼らを慰め助けた。で、時として天主が彼のために彼らに恵む物品を増やしてくださる事もあった。

 1372年の、御降誕の日、聖母の聖堂で夜中のミサを捧げている時、またまた聖マリア様が御出現になって、彼の死期が近づいた事を告げられた。そう聞いた彼の喜びは一通りではなかった。勇みに勇んで三つのミサを立て終わった彼は、顔も再び青春を迎えたように若やいで見えた。しかし1月6日の真夜中ごろ、彼は臨終の床にあってわが教会の司祭達に囲まれ、使徒信経をとなえていた。そして彼がまだ「ああ主よ、御言葉に従いて僕を安楽に逝かしめ給え!」と最後の祈りを口にしている時、天には神々しい光が輝き溢れ、その霊魂は主の御許に還った。行年七十有余歳。その五十五年間は修院にあって忠実に天主に仕えたのである。

教訓 

 昔の罪を償う事は必要である。償いは総てを快復する。我等は聖アンドレアに倣って主要な欠点を矯正することに務めよう。